岡家は米屋と号し、豪商田野五人衆の随一で、祖先岡氏は泉州から山内候に従って田野に来たと伝えられています。岡家は特独礼の格式でたびたび藩に御用銀を調達していました。藩主の宿泊所として建てられたこの書院造りの建物は天保時代に建て替えられ、上段の間に近侍の間が並び、その外に一間の次の間が廻って、その外側に三尺の廻廊と切縁があります。そして溜りの間、便所、湯殿やその家具に至るまで完全に保存されており、当時の建築様式がそのまま残されている貴重な建造物です。
ここでは、太陽熱と風力の自然エネルギーだけで塩を作っています。日本でも数少ない完全天日塩の塩づくりを、間近で見たり体験することができます。
製塩体験
- 管理棟内の展示見学(所要10分)
- スタッフによる塩づくりの解説(所要10分)
- 製塩ハウス内で採塩体験(所要40分)
- 管理棟内外で脱水・ごみ取り・袋詰め(所要40分)
所要時間については、人数等により変動します
10名以上の受け入れについては2グループに分けて、展示見学と交代で進める場合もあります
- 申込方法
- TEL. 0887-38-2390
- 申込期限
- 見学・体験ともに利用の10日前までに要予約
- 料金
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体験
- 町内の方
- 大人:400円
小人:200円
幼児:無料 - 町外の方
- 大人:800円
小人:400円
幼児:無料
見学
- 町内の方
- 大人:200円
小人:100円
幼児:無料 - 町外の方
- 大人:400円
小人:200円
幼児:無料
大人…高校生以上、小人…小・中学生
- 所要時間
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- 体験
- 60~90分
- 見学
- 30~60分
- 催行人員
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- 体験
- 1名~20名/組
- 見学
- 1名~20名/組
- 駐車場
- 乗用車5台、大型バス1台
- 注意事項
- タオルや飲み物をご持参ください。夏場は特にハウス内が高温となります。
- お問い合わせ
- TEL. 0887-38-2390
FAX. 0887-38-2044(田野町役場)
鉄道「ごめん・なはり線」田野駅と一体となった道の駅「田野駅屋」は、地元の産品が集まる直販コーナーや軽食コーナーを併設し、小さな田野町のすべてがぎゅっと詰まった施設です。
11月後半から2月にかけて大気の温度と海水の温度との差が大きい日に、水平線に沈む太陽の光が屈折し海面からもう一つの太陽が現れます。この太陽が沈んでいく太陽と重なり合うことによって「だるま夕日」が現れます。
- 住所
- 高知県田野町新町海岸
田野八幡宮の参道としてつくられた誇線橋。鉄筋コンクリート造のガーダー橋で、橋桁の長さは6.96m。設計は八幡宮の氏子だった柳井三郎氏による ものといわれています。使用した鉄筋コンクリートは粒子が粗く、昭和初期らしい構造となっています。また、現在も参道として使用されています。
立岡分岐点から奈半利貯木場に向かう桟道で、石積高架とコンクリートガーダー橋でつくられています。かつては、この高架の先に、奈半利川を渡る三連のトラ ス橋がありましたが現在は橋脚のみが残っています。高架全体は緩やかなカーブを描き、田畑などを避けるように建造されています。魚梁瀬森林鉄道を代表する 遺構のひとつで、経済産業省の近代化産業遺産群にも認定されています。
- 建築年
- 昭和8年
- 構造様式
- 立岡高架(石積高架)、一部コンクリートガーダー橋、奈半利川鉄橋(橋脚のみ現存)
- 所在地
- 高知県安芸郡田野町待井東
地図を見る
- 所有者
- 田野町
- 指定
- 平成21年(国指定重要文化財)
安芸郡(高知県東部地域)の政治、軍事、教育の源泉地となっていた安芸郡郡奉行所と田野学館の跡地で、現在は、高知県立中芸高校の敷地となっていま す。郡奉行所は嘉永6年、田野学館は安政元年に設置され、文久・元治年間は盛んに活用されていましたが、明治維新の際に廃止されました。
見学の際には、中芸高校の事務室にお声掛けください
西の岡邸は岡御殿を間近にひかえた一画に位置する旧家であり、長く製材や回船を業とする豪商の家でした。岡御殿の「本陣」としての性格、その由緒はよく知 られるところですが、当家は元々岡家の分家であったものが昭和初期、浜川氏に譲渡され、その後、町の所有となりましたが、古くは「西の岡」と呼ばれ「脇本 陣」として随勤の重臣などの宿泊に当てられたという家柄です。特徴としては式台・表座敷等一定の格式は整えられたうえで、回船・酒造などを営む商家として の機能を持ち合わせており、間取りにもその特殊性が見られます。規模・意匠ともに上層商家の格式を伝える貴重な文化遺産といえます。
元治元年9月5日早朝、奈半利河原において斬首された23名の遺体は、盟主清岡道之助の遺言によって福田寺境内に埋葬されました。明治24年特旨により、清岡道之助以下、贈位を受けた際に道之助の妻静によって修築されました。大正2年、静は私財を投じて、現在の墓碑を建て、再改築し、現在に至っています。墓碑銘は東久世通禧による。縦2m50cm、横12m1cm、高さ75cmの石段積み基礎の上に、墓石より1m28cmの墓碑が23柱並んで立っています。
二十三士の首領清岡道之助と弟半四郎(後の公張「元老院技官」)の生家。道之助は、土佐勤王党の党首武市瑞山と意気投合し、同士となって行動を共にしてい ましたが、他日投獄されていた瑞山等の出獄と藩論統一を主旨とする嘆願書を藩庁に提出しましたが受け入れられず、同志と共に元治元年9月5日奈半利河原で 処刑されました。昭和48年4月1日に清岡暎一氏より田野町に寄贈されました。
現在、腐食等により危険なため休館中
元内閣総理大臣浜口雄幸の屋敷。宏大な屋敷に質素な建物、簡素な庭園等旧郷士の代表的建物といえます。雄幸は、旧制第三高等学校在学中高知市五台山唐谷の 水口家から浜口家に養子にこられました。清岡道之助夫人静は雄幸夫人夏子の伯母にあたります。旧邸は昭和52年、浜口直氏より田野町に寄贈され、昭和55 年3月修復工事がされました。邸前には「なすことの いまだ終わらず 春を待つ」の雄幸直筆の碑と県民政党支部が制作し、元郵政大臣大西正男氏から寄贈を 受けた胸像が建っています。
この紅梅の木は、推定樹齢250年以上といわれています。地に伏せる幹の姿が竜のようであることから臥竜梅と呼ばれるようになりました。早春開花の時は鐘 桜に映じ見事な眺めです。もと旧西福寺(八幡宮の北大師堂と地蔵堂の所にあった寺)にあったのを移植したと伝えられています。