高知県田野町

田野町のご紹介

四国一小さい町ですが、小さくても元気で魅力的なまちです。

田野町のご紹介

田野町のシンボル

町の花(桜)、町の木(魚梁瀬杉)、町の鳥(メジロ)

町長のあいさつ

 

田野町のホームページにアクセスしていただき、ありがとうございます。

 私たちの郷土「田野町」は、高知県の東部に位置し、青い空、海・川・緑、鮮やかな山野、温暖で豊かな自然に恵まれた、四国一面積の小さな田園の町です。

 大正9年に町政を布し、激動、変貌した二十世紀の時代を町民の英知とたゆみない勤勉な努力と郷土愛のもとに、人情豊かな明るい活力ある今日の町勢を築いてまいりました。

 山・川・海の豊かな自然に囲まれた環境と、総面積6.53㎢のコンパクトなまちの特性を生かし、皆が安心・安全に暮らし、いきいきと仕事ができる生活環境を整備し、誰もが「訪れてみたい」、「住んでみたい」、「住み続けたい」と思えるような日本一魅力のあるまち、生涯を通じて幸せを感じてもらえる町を目指し、誠心誠意取り組んでまいります。

 

概要

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 田野町の起源は、古代は那波郷に属していましたが、鎌倉時代の初め高田法橋が高田山に来着し、奈半利川の治水に努め、田野郷を墾いたと伝えられています。

 中世期には、地頭の大野豊前守が、戦国の世は媛倉右ヱ門が治め、藩政時代には、甲浦代官の知行所となりました。当時代中期より資本主義経済が台頭し、田野五人衆、又は七人衆と称する藩の御用商人が、奥地の山林資源の開発により富強となり、田野千軒が浦として繁栄しました。幕末の嘉永6年(1853年)に安芸郡奉行所が岡地に設置されるとともに、藩校田野学館が併設されて安芸郡における政治経済文化の中心地として栄えました。

 明治維新後区制が敷かれ、明治21年(1888年)郡区、町村制法により田野村として発足し、大正9年(1920年)には町制を敷いて、田野町に改称し現在に至っています。

自然・環境

 県都高知市から東へ約55km。奈半利川西岸河口に位置し、南は、土佐湾に面し、東西2.2km、南北4km、総面積は6.53㎢。四国で一番小さな田園の町が田野町です。
気候は温暖で、ほとんど降雪はなく、澄んだ空と、緑の自然環境に恵まれています。

歴史・文化

 田野町の起源は、古代は那波郷に属し、鎌倉時代の初め高田法橋が高田山に来着し奈半利川の治水に努め、田野郷を墾いたと伝えられています。

 中世期は地頭の大野豊前が治め、戦国の世は媛倉右ヱ門が治めました。

 藩政の時代には甲浦代官の知行所となり、当時代中期より資本主義経済の台頭により、田野五人衆、又は七人衆と称される藩の御用商人が、奥地の山林資源の開発によって富豪となり、田野千軒が浦として反映しました。

 幕末嘉永6年(1853年)に安芸郡奉行所が岡地に設置され同時に藩校田野学館が併設、安芸郡における政治経済文化の中心地として栄えました。

 明治維新後、区政が敷かれ明治21年(1888年)郡区、町村制法により田野村として発足、大正9年(1920年)町制を敷いて田野町に改称し、現在に至っています。

各種計画

 田野町ではこのような計画をもとにまちづくりを進めています

防災に関する計画は防災・災害情報のページに掲載しています。

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